禁煙のススメ その1 理由
こんにちは、Seanです。
現在(2019年)の日本では、どれくらいの人が煙草を日常的に吸っているのでしょうか。
私の周りでは、喫煙者はだいぶ減りました。
友人と飲みにいっても、ほとんどが非喫煙者です。
厚生労働省のサイトに2018年(平成30年)の喫煙率調査結果が掲載されていたので、ご紹介致します。
参考サイト:厚生労働省の最新たばこ情報(2019.6.16)
このサイトによると、全国で約18%の人が喫煙者と言う事になります。
男女比でわけると、男性約28%、女性約8%。
意外と多いのに驚きです。
しかし、同サイト様の過去の集計データによると、2003年(平成15年)の喫煙率は全国で約31%、男性約48.3%、女性約13.6%。
参考サイト:厚生労働省の最新たばこ情報(2019.6.16)
過去15年で実に約13%減、つまり7~8人に1人が禁煙に成功している事になります。
私も以前は喫煙者でした。
煙草を断ち切ってから、かれこれ15年になります。
煙草の値段は日に日に増加し、私が喫煙していた時代から比べると実に倍以上。
金銭面だけでなく、喫煙は身体には悪影響で、肺がんを含めさまざまな病気に罹るリスクを高めます。
他にもデメリットを上げれば「悪臭」、喫煙者本人は気づきませんが、喫煙者の口臭は強烈です。
服や家の壁にも煙草の臭いがつきますので、周りの人にも迷惑をかけます。
さらに妊娠している女性の周りでは、胎児への悪影響もあり、人類に対しても悪影響を及ぼします。
これらは喫煙者の方も全員わかっている周知の事実です。
しかし、それでも禁煙に踏み切れない。 一体何故なのでしょうか。
これは私の勝手な想像ですが、今煙草を日常的に吸っている人達は、心の底では、出来ることなら、煙草をやめたいと思っているのではないでしょうか。
メリットとデメリットを考えると、デメリットはたくさん思いつきますが、メリットに関しては1つも思いあたりません。
日本においては、禁煙ブームと言うか、そういう流れが来ており、レストランなどに入っても全面禁煙、たとえ喫煙出来たとしても隔離された分煙室などに押し込められます。私も経験がありますが、今の日本は喫煙者にとって非常に肩身が狭い思いをする事が多々有ります。
そんな、今の日本では時代遅れとなりつつある喫煙者、なぜ未だに禁煙に踏み切れないのでしょうか。
「私は煙草を愛している、煙草をやめるなんて考えられない」
とか
「煙草を吸うと気分が落ち着く、煙草がないと精神が不安定になる」
など、喫煙者からこんな言葉を聞いた事があります。これらの意見を順番に整理してみます。
まず
「煙草を愛している」
ですが、これは禁煙の恐怖から逃れるための言い訳だと私は思っています。
ここで言っている「恐怖」は、もちろん煙草のニコチン依存からくる「禁断症状」に対しての恐怖です。
「寝起きの煙草がウマイ」とか、「食後の一服は最高!」とか、「仕事終わりの煙草がおいしい」とか良く耳にしますが、実は、これは長時間喫煙出来ず、禁断症状から開放された瞬間だからこそ「特別にウマイ」と感じるだけです。
すなわち、喫煙者の人達は毎日禁断症状を体験しているのです。
この禁断症状を長く続けるのは精神的苦痛を伴うので、そこに「禁断症状への恐怖」が生まれます。
その恐怖に対して、言い訳として何かそれっぽい事を口にしてしまうのだと私は考えています。
そしてもう一件、
「煙草を吸うと気分が落ち着く、煙草を吸わないと精神が不安定になる」
ですが、「精神が不安定になる」の部分は上記でも少し触れましたが、煙草を吸わないと「禁断症状」が発症するため、精神が不安定になるのです。
よって、「煙草を吸うと気分が落ち着く」のはなく、「ニコチンを体内に取り入れる事により、精神不安を取り除いている」だけなんです。
煙草を1ヶ月もやめれば身体でわかりますが、煙草を吸わない通常の一日はものすごく快適です。
こればっかりは体感してみないとわかりませんが…
禁煙が成功する遥か前、一度だけ半年間禁煙を継続させた事がありました。
心の弱さで再度煙草に手をだしてしまったのですが、半年ぶりに吸った煙草は体中の血の気が引き、一瞬目の前が真っ暗に、そして心拍数も急激に上がったのを今でも覚えています。 煙草が正常な人間にとって、どれだけの毒を持っているかと言う事がわかります。
私の経験だと、煙草をやめたくてもやめられない人は、「金銭的ダメージ」、「身体的ダメージ」、「周囲や環境へのダメージ」よりも「禁断症状への恐怖」の方が勝っているのだと思っています。
禁断症状への恐怖 > 金銭的ダメージ + 身体的ダメージ + 周囲や環境へのダメージ
上記のバランスのままだと、頭ではどんなに「煙草は身体に悪い!」とか「お金がもったいないから禁煙しよう!」と思っていても、禁断症状への恐怖が圧倒的に強いため、仮に禁煙を決行したとしても、本能がどんな手を使ってでも阻止しようとあらゆる手段を用いてきます。
「煙草を愛しているからやめない」
と言う言い訳も、本能が身体に命令して、ニコチンを体内に取り入れる様に言い訳させているのです。
これの恐ろしいところは、頭で考えても止まらない事です。
本能が身体に命令して、どうにかしてニコチンを身体に取り入れようとするのです。
私も禁煙を開始して間もない頃は、気が付くと、いつも「煙草を吸ってしまった事への言い訳」を考えていました。
まだ禁煙が破れた訳でもないのに、煙草を吸ってしまった事への言い訳を考えているんです。
以前書いた記事:「ポジティブ的」必要性と「ネガティブ的」必要性 の内容にもあてはめる事が出来ますが、本能の必要性(禁断症状への恐怖)が、意識的必要性(身体や金銭面への負担)を大きく上回っているのです。
恐怖からくる行動力はものすごいパワーがあります。 並大抵では止められません。
私の思う禁煙の難しさはここにあると思っています。
次回の記事は、私の体験談から、禁煙の実行について書いています。
ご興味ある方は是非ご一読下さいませ。
次の記事:禁煙のススメ その2 私の体験談