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8.無錫から上海へ

投稿日:2015-01-08 更新日:

無錫から上海へ

前回の記事:エピソード7 留学終了~無錫で就業

 

上海への引越し準備

上海での仕事が決まったので、無錫のアパートは引き払って引越しの準備をしなければなりません。

 

中国のアパートは、基本的に洗濯機や冷蔵庫といった電化製品、タンスやソファーなどの家具が備え付けてあるので、日本の様に大型の荷物を移動しなくても大丈夫なようになっています。お陰で引っ越しが非常に楽ちんです。 住人はアパートを選ぶ時に、この家具や家電の良しあしで左右する事もあるそうです。

 

私は上海に引っ越すにあたり、まず上海で部屋を探さなければならないのですが、これについては就職先の社長(日本人)が 「いつも使っている不動産屋があるので、そこに行こう」 と言うので、それに従ってついていきました。

 

不動産屋が紹介してくれた部屋は、会社から徒歩で行ける距離のワンルーム。そんなに綺麗ではありませんが、一人で住むには十分です。値段も上海にしては安い料金だったので、ここに決める事にしました。

 

部屋が決まれば後は引越し!

前述してますが、大きな荷物は必要ないので、自分の荷物はスーツケースに詰めれるだけ詰めて、新幹線での移動になります。

 

問題はモーターバイクです。

実は、電動式のバイクを購入していて、とても気に入っていたのでこれも持って行きたかったのですが…

 

バッテリーは、何故かは不明ですが、電車では運べないのです。なので配送をお願いしようとしましたが、これもNGでした。

何でだろ?? 売店を守る為なのかな?? それとも何かの事故を恐れてなのかな??

 

疑問は疑問のままですが、どうやら法律でバッテリーは輸送出来ない事になっているようです。

 

うーむ、どうしましょう。無錫で売ってしまっても良かったのですが、どうしても上海まで持って行きたかった私は、上海まで乗って行くことにしました。

 

「上海まで乗っていく」 これだけ聞くと別に大した事ないように思うかも知れませんが、フル電動車で150Kmを走ると言うのは、正直頭のおかしい行為と言わざるをえません。

 

バッテリーは家庭用電源で充電可能ですが、当然ながら街中にコンセントは露出していません。そして走行距離はと言うと、普通に走るとバッテリーがフルでも30Km程度。 さらに、充電には6時間程度かかります。

一度フルに充電して30Kmしか走れないと言うことは、150Km走るのに満タンで出発しても途中最低三回は充電する必要があります。そして充電の時間は6時間。 充電だけで18時間かかる計算になります。

走行時間は省いて、バッテリーを充電する時間だけで18時間! もう頭がおかしいとしか…(汗)

 

しかし、これは通常運転だった場合の話しで、実は「スーパー燃費走行」をすればもっと距離を伸ばす事は出来ます。私が決行したのは時速20Kmで走行するというものでした。

検証した結果、時速20Kmの低速ならば、50Km走行する事が可能。この計算なら、中間で2回充電出来れば上海までたどり着く事が出来ます。

 

充電時間は12時間、走行時間は 上海までの距離150Km ÷ 時速20Km = 7.5時間! すべて順調に行けば合計19.5時間で到着する事が出来る計算です。

 

私は地図を購入し、一番短い走行距離でたどり着く道を探しだし、地図にマーカーをして出発しました。

 

 

いざ上海へ!(電動車で)

時刻は朝の5時。

時速20Kmの猛スピードで発進!(笑)

 

…この速度で長距離を走るのは、ものすごく退屈なんじゃないかと思ったりもしましたが、これがまた結構爽快!

 

天気は運良く、とても晴れていて… と言うか、今思ったのですが、雨天の事を全く考えていませんでした… 本当に運が良かったです。

 

時速20Kmとは言え、私は本当にバイクが好きみたいです。ゆっくりと景色を見ながら、風を受けて走ると言うのは、本当に気分が良かったです。

 

しばらし走って、無錫市内を越えて郊外までいくと、人はおろか車もものすごく少なくなってきます。ただただ平地をずーっと走行。

 

そうしていくウチ、まわりがだんだん賑やかになっていき、どんどん栄えた場所に入っていくのがわかりました。どうやら蘇州に突入したようです。

 

この辺にくるとバッテリーもだいぶ減って来ました。 どこかで充電しなければ…

 

とは言え、車のガソリンスタンドのように電気を供給してくれるサービスなんかありません。電動バイクの充電は一般家庭にある普通のコンセントである必要があります。

 

さて、どうしましょうか… と一応目的地を目指しながら走ってはいましたが、まわりをキョロキョロしていると、すごく小さな不動産屋の外に、コンセントの差込口があるのを見つけました。

 

ここだ!

 

私はさっそうとバイクを店の前につけ、店に突入。中には従業員のおばちゃんが二人。

 

どうも、私がバイクを目の前に停めた事で、電源を借りに来たのかと予測していたみたいです。お願いした時も全然ビックリしてませんでしたし。 そう言う人が割りと多いのでしょうか?? 彼女達は私の依頼を快く引き受けてくれました。

 

電気代がかかるはずなので、いくら必要か尋ねましたが、お金はいらないと断られました。

うーむ、マジですか。

親切で電気をただて貰えるなんて、すごく嬉しいけど何だか申し訳ない。 何かお礼がしたい。 よし、何かプレゼントを買おう。

 

しかし、こう言うトコロで働いてるおばちゃんって、何を買ったら喜ぶのでしょうか。しかもデパートとか、買い物を出来る場所が近くにあるかもわかりません。

 

そんな事を考えながら少し近くを歩いてみると、市場を発見しました。 よし、果物を買おう!

 

中国人は日常的に果物を食べます。 ものすごく食べます。 たぶん、毎日ものすごく食べます!

 

果物なら買っていって嫌がられる事はないだろう、と判断した私は市場に向かい、目についた果物を購入しました。リンゴとかぶどうとか、あと覚えてないけど、持てるだけ持っておばちゃん達に持っていったら、すごい喜んでくれました! 良かった!

 

さて、これで充電の準備は完了です。 後は6時間どこかで時間を潰さなければなりません。

まずは食事ですね、これは別に何でもOK。

近くで簡単な食事をとったあと、その辺をまたうろうろしているとマッサージ屋を発見!

 

中国のマッサージはすごく安い。長時間の運転で疲れたので、身体をほぐして貰いました。マッサージを受けた後はちょっと座れそうなところを見つけ、仮眠。 ほんとにちょっとですが。

充電が満タンになり、私は不動産屋のおばちゃんにお礼を言い、再度上海へ向かって出発しました。

 

蘇州の市街地。 少し前に観光で遊びに来ましたが、まさかこんな形でまたこの街を訪れようとは… 

市街地を通り過ぎると、またどんどん誰もいない平地になっていきます。

 

さらに進むと、今度は平地どころか山に! この頃の時間はまだ確か昼過ぎの二時位だったと思います。 まだ明るい時間で良かった。

 

山をずーっと走りました。  とにかく走りました。 ずーっと走っていると、またもやだんだんバッテリーが乏しくなってきます。 実際、私の走行距離の計算に坂道は入っていませんでした。 上り坂はバッテリーを余計に食うので、かなり充電状態が心配になってきました。

 

しかも、第二の充電ポイントは昆山あたりで思っていましたが、全然昆山の気配を感じません。どうも最短マーカーした地図では、思ったところを通らなかったようです。 全然栄えていく気配がない… 道は相変わらずただの山道。人が歩いてもいません。

 

うーむ、やばい、あたりも暗くなって来たが、民家すら見当たらない… このまま夜になると、この山で野宿する事になりかねません。まぁそれはそれで面白そうですが…

 

と、思っていると、何やら集落のようなものを発見しました。

 

何か、ホントに漫画とかでしか見た事のないような集落。

 

周りには何もない山の中に何件か民家があり、ちょっとした食事処が2~3軒。バイク修理屋が1軒、あとは雑貨屋みたいな店、全部合わせても10軒ちょっとくらいしかない建物の集まり。 これぞ村 って感じです。

とにかく、ようやく人がいる所にたどりつきました。とりあえずは民家に入ってみる事にしました。

 

家の人にお金を払うから電気を使わせてくれとお願いしましたが、ものスゴク不審がられて断られました。

 

 

…え?  

 

 

断られた??

 

 

いやいや、マズイっす。

 

 

充電出来なければ上海にたどりつけません。 自分が日本人である事、事情があって無錫から上海まで移動中である事。 全て事情は話しましたが、とりあって貰えませんでした。

 

非常に困りました。

 

まさか断られるって言う事は想定していなかったようです。 が! よく見たらバイクの修理屋さんがあるじゃないですか!!

 

バイクの修理屋さんにお願いすれば充電くらいさせてくれるのではないでしょうか。ものすごくお願いしました。 本気でお願いしました。

 

何と言っても、充電出来なければ動けないのです。私も必死でした。

 

ここは、彼らも商売なんでしょう、結構高い金額を請求されましたが、景気よく払って充電させて貰う事に成功しました。

 

いや、良かった… 今回は流石にちょいと焦りました。

 

 

この後ちょっと道に迷ったりトラブルがあったのですが、それも何とか乗り越え上海に到着。 感無量です。 既に夜中の12時を回っていました。 19時間以上かかった計算になります。 しかし、事前に出した計算では順調に走って19.5時間かかる予定でしたから、このタイムは相当順調だったと言う事になります。 非常にラッキーでした。 無事に到着して、本当にホッとしました…

 

 

上海での新生活スタート!

さて、明日から新生活、新しい会社での仕事のはじまりだ!

 

そして翌日から新生活がはじまりました。

 

 

はじまったのですが…

 

 

何やら様子がおかしい。

 

 

従業員も30人くらいいて、中には日本人も数名まざっているこの会社。

 

ここでは詳しい事は書けないのですが、表向きは結構普通な事をやっているのだけど、本業は何か違うっぽいのです。

 

私の仕事は、ざっくり言うと "IT事業部長" 。

ようするに、IT部門の責任者と言う事になります。

 

今までITには全然力を入れておらず、必要に迫られ急遽IT事業部ってのを作ったようです。そこの責任者が私、部下はなし。 全て自分で計画・実行する必要があります。

 

最初は、この会社のHPのリニューアルの仕事でした。

 

他の人が作ったHPなので、まずはHPのソースコードを解析、そして新しいモノを取り入れ、必要ないものを削除。まぁこれは良くある仕事ですし、昔やっていたのでそれ程苦労もなく、楽しくやれました。

 

しかし、たまに社長から直接頼まれる仕事が、どうも変な内容なのです…

詳しくは書けませんが、どうもヤバイ感じがしてなりません。ここに来て三週間程だった頃、私は非常に疲れていました。ほとんど寝る暇もなく働いていたので、疲れているのは当然と言えばそうかも知れません。

 

仕事の拘束時間が長いのは日本ででも慣れているので、そんなに気にはならないのですが、やってる事がどうもやはりおかしいので、私はこの仕事のハードさを理由にとうとう退職願いを社長に出しました。

 

 

焦りました。 焦りまくりました。

 

普段ものすごく温厚で、優しい社長が突然激怒

 

はい、激怒です、あれは。

 

今まで見た事もない剣幕で怒りまくっていたので、あまりにもビックリし過ぎてそれから一言も発する事が出来ませんでした。

 

そして、「上海に来たばかりで住む場所はどうするんだ?」と聞かれたので、当然のように 「今のアパートに住みますが」 と答えたら、社長はものスゴイ事を言ってきました。

 

「はぁ?あれは俺が借りた俺の部屋だ。」 と。

 

どうやら私は騙されていたようです。

 

社長の知り合いの不動産屋、既に用意されていた私の部屋。 お金は私が払ったのですが(中国のアパートはだいたい3ヶ月分は前金)、契約書の名義は私じゃなかったのかも知れません。

 

ただならぬ殺気を感じた為、とりあえず明日会社には行く、と伝えてその場を去りました。

 

 

上海での夜逃げ

そして、猛ダッシュでアパートの荷物を日本に送りました。

日本の実家を頼るのだけは避けてきたのだが、他に自分の荷物を引き受けてくれるところなんてありません。

底知れない敗北感の中、止む無く日本の実家に荷物を送りました。

 

何かヤバイ事を知っている裏切り者と言うレッテルをはられ、殺されるのではないかと、考え過ぎかも知れませんが、この時は本当にヤバイ気配を感じた為、荷物をまとめて数時間後にはアパートを脱出しました。

 

バイクで走りました。

 

会社から近いこのアパートから、少しでも遠くに離れたくて、バイクでとにかく走りました。

 

気が付くと、上海タンゴ会場の近くにまで来ていました。

 

一旦心を落ち着ける為、近くにあったビジネスホテルに宿をとり、状況を考える事にしました。

 

留学の為に貯めてきた資金はもうほとんど底をついてしまい、もうあまり残っていません。今回の就職でのお給料をアテにしていて、ほぼ持ち金の全額で上海のアパートを借りた為です。

 

お金はほとんど残っていない。

 

収入もなく、ずっとホテル住まいは金銭的に無理です。

 

正直、この時本気で上海の物乞いになろうかと考えた程です。

 

連日の過酷な仕事で身体は疲れきっていたのに加え、信じていた社長に騙されたショックで精神的にも非常に参っていました。

 

この時の私は、人生の中で最も過酷な状況だっと言えます。「途方に暮れる」と言う言葉はこう言う状況で生まれたのではないでしょうか。

 

「日本に帰る」 と言う手段はどうなのか? と言うと、それだけは絶対にしたくありませんでした。 ここで日本に戻ったら完全に敗北者。

上海で大活躍するんだと勢い込んでやってきたのに、ほぼ一瞬で希望が崩れて逃げ場である日本に逃げ帰るなんて、なんとしても避けたかったのですが…

 

ですが、上海で物乞いにでもなって万が一の事があったら、両親もそうだし、いろいろな人に迷惑がかかります。 自分が死んだ時の事を考えたのは、恐らくこの時がはじめてです。

ものすごく悩んで、考えましたが、ここは恥を忍んで帰国する事にしました。 不幸中の幸いだったのが、帰りの飛行機代くらいは財布に残っていた事です。

 

その場に崩れ落ちそうになりましたが、気力を振り絞って旅行代理店まで足を運び、航空チケットを購入しました。

 

帰国日は、4日後。

 

すぐに帰っても良かったのですが、この日は木曜日、週末の三日間で最後にお世話になった上海のタンゴを踊って帰国しようと考えました。

 

苦労して持って来た電動車ですが、もう流石にこれ以上所持する事は出来ません。 近くのバイク屋さんに買って貰い、その資金で残りのタンゴ会場の入場料と、三泊分のホテル代にしました。

 

そして金曜の夜、気力は既に使い切り、悲しみのどん底ではありましたが、これもまた運命。 最後はお世話になった人達に挨拶し、思いっきり楽しもうという気持ちで会場へ向かいました。

 

そして金曜日のタンゴを踊り、会場も引き上げようとしている頃、私はタンゴ会場オーナーのチャールズとビビアンに事情を打ち明け、今までお世話になったお礼と、日本へ帰国する事を伝えました。

 

「非常に残念ですが、住む場所も失い、食事をするお金ももうほとんど残っていない、ここを離れるのは寂しいけどまた必ず遊びに来ます!」 と。

 

するとビビアンは私に 「日本に帰りたくて帰るの?」 と聞いてきました。

 

まさか!

 

状況は話した通り、今日本に戻る事は私にとっては敗北です。帰りたくて帰るわけではありません。

何が何でも上海に残りたいと思ってはいたけど、万策尽きて仕方がなく帰国する旨を再度伝えました。

 

するとビビアンはこう言いました

 

「日本に帰りたくないなら、上海に残りなさい。住む場所がないならうちに泊まりなさい。食費だって一人増えたところでたいした事はない。」

「こんなにも上海とタンゴが好きで、留学中も毎週踊りに来てくれた友人は、もう私達にとって家族も同然。 遠慮する必要はないから、うちに来なさい」

 

と。

 

恥ずかしい話ですが、この言葉を聞いて私は号泣しました。

 

涙が溢れて止まりませんでした。

 

心身とも疲れ果ててた私の心に、彼女の言葉は深く突き刺さりました。昔はどんな映画やドラマを見ても、まったく涙なんて流せませんでしたが、歳をとると涙腺が弱くなるってのは本当なんですね。

 

この日から、私は上海のアルゼンチンタンゴ一人者、台湾人のチャールズ・ビビアン夫妻の家に居候する事になります。

そして、ここから更に激動の毎日がはじまろうとは、誰が想像出来たでしょうか…

 

次の記事:エピソード9 上海で就業~帰国まで

9.上海で就業~帰国まで

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